【Q&A】早稲田建築ってなんですか?

なかなか難しい質問です。
この質問に答えるには、早稲田大学建築学科がなぜ創設されたのかを理解する必要があります。日本に西洋的建築学を持ち込んだのは、東京大学(当時工部大学校)の教授を務めたジョサイヤ・コンドルです。コンドルの思想は、建築家の主体性に力点を置く理想主義の色彩が強く、その思想は弟子の辰野金吾やその弟子にも大きな影響を与えます。しかし、明治20年代以降、日本が富国強兵を推し進めるなかで、東京大学建築学科も中心が構造や都市計画に移行し、コンドルも下野してしまいます。
そのような中、大隈重信は同郷の辰野金吾に建築学科創設を相談し、弟子の佐藤功一を紹介されます。建築学科創設時の学科主任となった佐藤功一は、コンドルが東京大学で果たせなかった、建築家の眼と想像力によって、その場所や人々、目的にふさわしい様式を作り上げ、理想的な明るい未来を拓くという理想を早稲田大学で実現しようとしました。これこそが早稲田建築の起源であり、そこからデザインを重視するという姿勢につながっていきます。
現在、国立大学も私立大学も、教員数は大凡20名前後ですが、学生数は大きく異なります。国立は一学年40名~60名ですが、早稲田大学は160名です(2012年度まで180名)。一教員当たりにすると、国立は2~3名ですが、早稲田大学では8名程度になります。これまでの旺盛な建築需要を支える人材育成を私学が担ったという背景もありますが、多様な社会の問題に対応するには、どうしてもそれだけの人数が必要でした。各学年2~3名の学生では、確立された学問分野の継承と発展が精一杯で、新たな問題にはなかなか対応できません。多くの学生がいて始めて、新しく興る問題や分野に取り組むことができます。
このような起源、理想主義的な教育、そして多様な人材の中から生み出される建築。それこそが早稲田建築といえるのではないでしょうか。

(早稲田建築とは何か? 教員は常に自問自答しています。上記内容はWeb管理者の思いをまとめたものであり、建築学科公式の見解ではありません。是非、いろいろな教員の文章を読み、考えてください)