吉阪隆正展 渡邊大志

5月3日、ようやく時間がとれたので吉阪隆正展を見た。

第一の観覧感は、その思想や後進の多さに反して吉阪自身は単独者であったのではないかと思われる。1917年生まれの吉阪は1つ上に吉武泰水が、8つ下に内田祥哉がいる。量産化を旨とした構法と計画学に比して、多様な個別を目指した吉阪の論理は論文になりにくい。近代的に解釈されることを拒否しようとする性質は、近代観から見ると解説することを拒否するように見えたのだろう。膨大な言説を残した吉阪だが、吉阪による言語化が多義的に捉えられて科学論文に収斂し得ない理由はここのところにある。しかし、それ以上に彼が単独者である由縁は、「みなで作る」や「不連続統一体」に代表される多様な個別の差異を前提とした共同の論理自体はほとんど吉阪個人の人となりによって構成された論理であるように見えるためだ。その意味で、私には吉阪隆正という人間そのものを展示した第一章と第二章が最も興味深かった。

私の先生である石山修武は、かつて吉阪研は人気があり過ぎて嫌なので田村研に行ったと言っていた。当時早稲田でもビルディング・エレメント論の構法を唱えていた田村研究室は研究目的も吉阪研とは真逆と言っても良いだろう。その一方で、私が石山研究室に入る際には、「発見的方法」を受け継いでいるとの言があり、また、インドで吉阪とコルビュジェ時代に共にチャンディガールを担当したクリシュナ・ドーシに「人となりがタカ(吉阪の愛称)に似ている」と言われて少なからず喜んでいたように思われる。それはヨーロッパの白人が主として作った論理であるモダニズムへの懐疑を吉阪と共有していたからだろう。吉阪の言う「みな」とは一体誰のことか。それを考えるに、今回展示された建築では「黒沢池ヒュッテ」の木造ドームが一番興味深かった。バックミンスター・フラーのドームとは同じドームでも全く異なるものだからだ。フラーの軽量な汎世界性は吉阪のドームにはない。それはやはり山小屋であるべきという主張に基づいたドームである。「みな」を抽象的に捉えない故に、近代の科学論文の形式でその総体を捉えることは難しい。登山家としても知られる吉阪であるが、登山隊は構成するものの、基本的に彼はチームで登る登山家ではなく、単独行の登山家であったのではないだろうか。そして彼はマッキンレーやK2といった、誰でも知り、無酸素登頂を競った近代登山で対象とされた以外の山々にも登った。八王子の小さな山にも登った。それが近代観を持った人たちには、なぜその山にも登るのかがよく分からなかった。そのとき吉阪はその山に登ること自体にはあまり意味がなくても、無数の多様な山に登ることが重要だと考えた。「パノラ見る」とはそういうことではなかったか。雑駁だが、そんな印象を持った。

2022年5月4日
渡邊 大志